佐和良義神社

 茨木市立文化財資料館に来たついでに佐和良義神社も見てきました。
地名は「沢良宜」なのですが神社の表記は「佐和良義」の様です。
御祭神が火の神迦具土大神だそうなので東奈良遺跡で鋳造を行なっていた工人が崇敬していたのかな?と。

神社は過去に元茨木川が流れていた跡である土塁上に存在します。
佐和良義神社西側には沢良宜城跡という室町時代の城跡が有るのでこの自然地形を防壁に利用したのかな?と。
背後は大正川。 東奈良遺跡も元茨木川と大正川の間に存在します。
ただ大正川は大正に工事をしたから大正川という名称なんだそうで、かつての川筋はよく分かりません。
以前の川の名称は「丑寅川」と言うんだそうです(汗)
そして丑寅川の出発地点は茨木市下穂積。

佐和良義神社内の八幡社。沢良宜城の鎮守社で、石清水八幡宮から勧請された様です。

「旧沢良宜城跡」の石碑

「旧沢良宜城跡」の石碑の横にはかつて説明板が有ったとの情報をネットで見つけました。内容は下記の通りです。

室町幕府三代将軍足利義満(1368-94)は、少年の義持に将軍職を譲って五年目にあたる応永六年(1399)、堺港に進出してきた周防国の大内義弘を堺に攻めたとき、沢良宜城主藤井三位は義持将軍から「御馬廻り免状」をもらい、家老職や郎党を従えて勇躍出陣したと伝えられています。
 「御馬廻り衆」とは、いわば室町幕府直参の旗本で「応永記」は三千騎と記しています。
 当時の沢良宜勢は約三千坪の城(環濠の砦)を中心に、勝尾寺衆徒の中でも相当な力を持っていたようです。(勝尾寺文書)
 この城(小字宮西)は、応仁の乱(1467-1477)の頃か、もう少し前の1400年代の早い時期になくなったと考えられています。
 現在、城跡地(美沢町)は高層のマンションや住宅となり、その南端(小字野村垣内)にはボウリング場などができています。
 また、隣接した式内、佐和良義神社の拝殿前にある八幡神社はお城の守護神で南北に長い参道は、乗馬訓練の馬場といわれています。

http://sano567.my.coocan.jp/sawaragijyou/index.html

神社前の大通りは下道で奈良に行く時によく通る道です。
まっすぐ行ってつばさ高校前を右折。安威川、淀川を渡れば寝屋川市へと続きます。